無知の知

今日は『無知の知』

ソクラテスがその問答法で用いたとっても有名な言葉。。。

『無知の知』

何も知らないと知ることこそが、真の知を知り得るみなもとだ

とした言葉ですね。。。

学問におけるスタンスの大前提にあるような言葉。。。

わかっている。。。

知っている。。。

そんなつもりになっている事柄を疑ってかかる。。。

歴史上こうであったといった解釈がなされている事柄や

科学の分野においても新たなる発見は、

時に、既存の価値観や定義を

疑ったところから進歩をとげていったりする。。。

この無知の知のスタンス、

真なる事柄を追求していく上で欠かせないんですね。

でも、わかっているようで、受け入れにくいスタンスでもあったりする。。。

既存の価値観、周知の事実。。これらが覆されるには

時の国家体制において、学問の自由、表現の自由、

とりわけ、発表の自由が保証されてなくてなならない。。。

特定の価値観や政治的背景により、真実の追究に障害が入ったり、

ある特定の団体、特定の人物の権威、威厳といったものが覆されるような事実は

ねじ曲げられてしまって、事実、真実は闇の中へと埋もれてしまったり、

世の中にはたくさんあったりする。。。

そして、歪曲された事実をあたかも真実のように

私たちの目や耳に飛び込んでくるようになる。。。

ある時は美化された形で。。。

ある時は、汚された形で。。。

ある時は、偽った形で。。。

真実を見極める目を養うって難しい。。。

でも、古代人の知恵、『無知の知』は、現代の情報過多社会に生きる

一般人の私たちにも

通用するスタンスではないかなあ

なんて思ったりします。

今、映し出されている情報、知識、それらを知っている、

でもホントに知っていることになるのだろうか。。。

実は本当のところは何も知り得てないのではないだろうか

それとは反対の事実があるのではないだろうか。。。

といった目で、

情報をニュートラルなスタンスでとらえてみる

かたくなってしまっている自分の頭を柔らかくしておく。。。

といったこともたまにしてみるのもいいかなあ

なんて気がしたりします。

それにより、

新しい発見,新しい事実、覆い隠された事実などを推測する礎となったり

それらが、なんらかの時に公表されたとき、

自己の中にスムーズに受け入れられたり、

年令を経ても、情報処理能力が衰えずに

情報の訂正を容易に図りうるようになるのでは

ないだろうかといった気がしたりします。

今週もみなさんが心穏やかなる時を

過されるよう願って。。。

1999年2月15日月曜日掲載】

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